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「マニアの至福」第5回

73年9月、はっぴいえんど
「ラストタイムアラウンド」-1-

入学式には参加しなかったものの学生としての生活が始まりました。といっても二部学生の身で定職にも就かず昼間はぶらぶらしています。僕は4月の中旬、市ヶ谷にある音楽プロダクション「風都市」を訪ねることにしました。
2月にS駅にあがたさんを見送りにいった際に「風都市」の人から「東京に来ることがあったら是非遊びに来て」と言われていたからです。
「風都市」とは、あがたさんや「はちみつぱい」や解散した「はっぴいえんど」のメンバーを擁する音楽プロダクションです。
国電の「市ヶ谷駅」に降り橋を渡って坂を登りつめたマンションの5階に「風都市」はありました。
インターフォン越しにその人の名を告げると、ほどなく現れましたが僕を覚えてはいません。
中へは入れず近くの喫茶店で30分だけお茶を飲みながら話をすることになりました。
僕は無事大学に入学できて東京で暮らせることになったと告げました。
「それはおめでとう」といわれました。
東京で生活できる感激や、風都市を訪れることができた感動を口にしました。
相手は無言でした。S駅でのニコニコした態度と比べるとまるで別人です。
僕はその人がマネージャーを務めていた「はっぴいえんど」の松本隆氏が72年に発表した単行本「風のくわるてっと」に書いていたエピソードについて尋ねました。
「『抱きしめたい』の詞は青森から東京へ向かう電車の中で書かれたのですか?」
「ゴメン、俺、カルテット読んでないんだ。奥付だけ見て、うそ書いてるって、それだけ」
「-----。」
僕は話題が尽きたら、あがたさんとのつい先だっての出来事について話そうと思っていました。僕にとってはかなりな体験であり面白がって聞いてくれるのではないか、と考えていたからです。
しかし、やめにしました。どうやら音楽が好きな人と音楽が好きな人をとりまく人達とは別の人達なのでしょう。会話がほとんど成り立たないままに約束の30分が近ずいてきます。
「今はまだ発表の段階じゃないけど、秋にどえらいことやるから楽しみにしてて」それだけ言うと、その人は喫茶店を出ていってしまいました。

8月発売の「ニューミュージック・マガジン」に次のような告知がありました。
●9月21日 文京公会堂「CITY-Last time around」出演=はっぴいえんど、キャラメル・ママ、ココナツバンク、ムーンライダーズ、吉田美奈子、南佳孝、他
72年にアメリカで3枚目のアルバムのレコーディング完了をもって解散した「はっぴいえんど」を中心としたコンサートが開催されるのです。「キャラメル・ママ」「ココナツバンク」「ムーンライダーズ」とは「はっぴいえんど」解散後の4人がそれぞれメンバーとして名を連ねている新しいバンドです。
どえらいこととはこのことだったのです。
開催を知った数日後にNHK教育テレビで放送された「若い広場」に僕が会った人ではない風都市の方が出演していました。番組には「日本のロックは今」といった副題がついています。
風都市の方はさかんに「風都市は日本のロック界の渡辺プロをめざす」旨の発言をしていました。その考えが「CITY-Last time around」と結びついているのは明白です。
「はっぴいえんど」のメンバーは「いいものを作りさえすれば売れる売れないは関係ない」と発言し、また「この4人でやることは尽きたから」といって解散したのです。
4人での最後となったアメリカでのレコーディングも彼らの意にそぐわない形でシングル盤からアルバムへと曲数が変更されています。
コンサートに出演する4人、すなわち細野晴臣氏、松本隆氏、大瀧詠一氏、鈴木茂氏の「はっぴいえんど」としての意識はどのようなものなのでしょう。
しかし「CITY-Last time around」に登場した「はっぴいえんど」のメンバーはなんと5人だったのです。

(97年3月9日記・以下次回)

-第5回 了-

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