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「マニアの至福」第4回

73年4月、入学式当日の悲劇-3-

「あがたです」と答えると、
「なぁんだ、あがちゃんか」という声がしました。その声には先ほどまでの怒りに満ちた感情は含まれていません。かわりに(しかたねえなぁ)といったあきらめのような響きが込められていました。
やがて、玄関が開けられ「どうぞ」と招き入れられました。これで、どうにか寒さから解放されます。
あがたさんが「今日からぼくの友達のまさとちゃんです」とぼくを紹介してくれました。
「そう」といってから「わたしは××です」との答えが返ってきました。ぼくはよく聞き取れなかったのですが、あらためて聞き返せない雰囲気だったので黙っていました。
「あがんなよ」と言われ、僕たちは部屋に通されました。
1階の客間は、灯を入れたばかりでしんとしています。
「ごめんね、急にあいたくなってさぁ、とっても会いたくなってさぁ」とあがたさんは、何度も繰り返しています。
家の人はそれには応えず、サイドボードからウイスキーを取り出しコップに注ぎました。サントリーオールドです。2000円もするオールドです。
僕たちは乾杯しました。ストレートでグッと飲み干すと咽がヒリヒリとしました。しかし本来高尚なはずの味はまったくわかりません。すぐに体が熱くなりました。心臓の鼓動も激しくなりました。けれどお酒でドキドキしているのではないようです。居心地の悪さからくる動悸のようでした。
家の人は一切話しかけてきません。僕は酔いが戻ってきて辺りがグラグラと揺れ始めました。それでも飲みました。それ以外に何もすることがないのです。
僕から切り出す話題などあるはずもなく、黙っていました。
さすがに、あがたさんも居づらくなったようです。
「帰るワ。また来るからさ。じゃ行こうか」と言ってあがたさんと僕は家を出ることになりました。僕は立っているのがやっとのようです。玄関を開けたとき家の人が「君、それじゃ寒いだろ」といってデニムのジャケットを僕に掛けてくれました。
「どうもすみません」と僕が答えたとき初めて家の人が笑みを浮かべました。
(ほんとは、みんないいひとで・・・)と、その時は誰が歌ったか思い出せない唄が浮かびました。

駅まで戻ることにしました。当然電車は終わっています。
「自動車で行こう」とあがたさんは言いました。運よく駅前近くでタクシーに乗り込むことができました。
「運転手さん、ゴールデン街まで」とあがたさんは言ったようです。あがたさんは車中で今訪れた家の人のことの説明をさかんにしていたようですが、僕は覚えていません。その後入った店のことも思い出せません。ただ、僕は店にいた誰かにからんだのか、「お前みたいなやつは出ていけ」と言われ店を追い出されました。別の誰かが「駅どこかわかる?送っていこうか?」と声を掛けてくれたのですが「うるさい、駅ぐらいわかる」といってその人を振り払ってしまいました。まだ夜は明けていません。
その後ようやくたどり着いた新宿駅はシャッターで閉ざされていました。シャッターを背に冷え冷えとしたコンクリートにすわり込み、駅が開くのを待ちます。
やがてうとうとしていると、昨夜のジャンバー男が僕を見おろし声をかけます「お前みたいな髪の長いヤツを見てると腹が立って来るんだ、さっさと消えちまいな」
---別に髪が長くたっていいじゃないか、消えたくなんてないよ。東京に来たばっかりなのに消えちまえなんて、ひどいじゃないか。入学式に行ってればこんな目に会わなかったのに、一体僕は何をしてるんだろう---
僕は泣いていました。泣きじゃくっていました。

背中にガクンと振動が伝わり、目を醒ましました。シャッターが開き始めたのです。
立ち上がるとひどく頭が痛いのです。駅構内をふらつきながらようやく中央線のホームにたどり着きました。水飲み場を見つけ蛇口に口を付けるようにして水を飲み、顔を洗い、停車していたオレンジ色の電車に乗り込みました。車内は暖房でいくらか暖かく(西荻窪に着いたら降りなくちゃ)と思いつつ、電車が発車するやすぐに寝込んでしまいました。
目覚めると車窓越しに牛が見えました。次に目を醒ますと今度は東京駅でした。
西荻窪の3畳間に辿り着くまで3時間かかりました。(97年3月3日記・以下次回)

-第4回 了-

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