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道楽堂発行「ばるんが通信」提携 

〜架空楽団物語〜 -1-

1997年8月17日は、コピーバンドにコピーされたバンドのメンバーが初めてコピーバンドのコンサートに出演した記念日として記憶されなければならない。

コピーされたバンドとは「ムーンライダーズ」。彼らはこの19年間コピーされ続けてきた。彼らをコピーし毎年のように公演を重ねてきたのは「架空楽団」。「架空楽団」は正月にこの十年来恒例となっている岡山での公演を開催。そして1987年8月17日(日曜日)に12年ぶりとなる東京公演を渋谷のライブハウス「クロコダイル」にて敢行し、ついにムーンライダーズのゲスト出演を成功させた。

 開場の7時。五十余に及ぶ椅子席はすでに満杯で後方にはあふれんばかりの立ち見客。ステージ横の特別席にはムーンライダーズのメンバー鈴木慶一氏、鈴木博文氏、かしぶち哲郎氏が居並ぶ。

 三部構成の第一部「シリコンボーイ」から始まったステージは最初からすでに最高潮。ボーカルの山田雅義氏によってムーンライダーズの佳曲が歌い込まれ、また「架空楽団」がコピーするもう一つの核、あがた森魚氏とVirginVSのヒットソングが綴られる。そして第二部で鈴木慶一氏がステージに登場するやどよめきとも歓声ともつかない異様な震動が会場全体を覆った。慶一氏は「ビデオボーイ」をオリジナルとは違った解釈で歌い、その過激な内容に会場はさらに盛り上がる。三部ではかしぶち哲郎氏、鈴木博文氏もステージにたち「リラのホテル」「大寒町」を披露し、午後11時「架空楽団東京公演」は大成功を

もって終了、続いて打ち上げになだれ込む。

 打ち上げの席上、リーダーでギター担当の黒瀬尚彦氏にムーンライダーズがステージに登場するまでの経緯を語ってもらった。これをもと架空インタビューを構成。(文中敬称略)

----ライダーズおよびあがたファン感極めりのライブを観させていただきありがとうございます。ところで本日の構成は?

「ライダーズの基本パートを6人でまず押さえます。しかしたとえば武川雅寛さんがひとりでやれるパートがぼくらでは3人で手分けしないとムリだったりします。女性コーラスが3人、VirginVSもやりますから。それとライダーズの音を再現するためにはプログラミングやボコーダーが不可欠。で14人によるステージ構成です」

結成のきっかけは?

「1957年生まれのぼくと、石原(ベース)と青山(キーボード)が1971年に岡山の中学でフォーククラブを始めたのがきっかけ。当時ははっぴいえんどや高田渡、加川良とかの曲を演ってました。72年にはあがた+はちみつぱいのライブを録音して必死になってコピーしました。石原はライダーズの曲なら100曲以上弾き語りできると豪語するけど、この時代からのライブ音源がその源。76年に上京してからはライブに行きまくって、コピーを繰り返しました。そして79年に岡山で初めてのライブ。当時はDEVOや小坂忠、大塚まさじなどの曲もコピーしていました」

(以下・次回)


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