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「マニアの至福」第2回

73年4月、入学式当日の悲劇

 明治大学の入学式の日、中野公会堂で友部正人さんと三目の夜のジョイントコンサートがありました。友部さんは「中野の長いプラットフォームをキャベツが転がった」という内容の歌や「さすらい」や「長崎ブルース」を歌いました。まるで、「ガロ」に鈴木翁二氏が描くの漫画のようでした。
 友部さんが途中「何を歌おうかな」と自問したので僕は客席から「気違い女のために」とリクエストしました。すると友部さんは「そんな歌あったかな」とちょっと笑い、会場全体も「そんなうた、ともさんがうたうはずないじゃないか」と声の主を蔑すむかのようなようなざわめきが起こりました。やがて会場が沈黙に変わるころ「一本道」が歌われました。周りの聴衆がすべて拍手を送るなか、僕は身を固くしてうつむいていました。
 川べりにたたずみ行き交う男に「二千円でいいからさ」と声をかける女をうたった「気違い女のために」は確かに存在していたはずです。
 コンサートがおわり、もう絶対友部なんか聞いてやらないぞ、と思いながら中野駅に向かって歩いていると、あがたさんの後ろ姿がありました。僕はかけより「あがたさん」と声をかけました。僕のことを覚えていてくれました。それから中野駅前のゲームセンターでエアーホッケーのようなゲームをしました。運動神経のない僕にしては勝負は五分五分でした。あがたさんがわざと負けてくれたのかもしれません。
 そのあと国電で新宿へ行き、西口の小便横町の一軒に入りました。あがたさんとお酒が飲めるのです。2階にあるそのお店は混雑していて、僕たちはカウンターの席で窮屈にしていました。馴染みのお店らしく、店の人となにやら言葉を交わしています。
 あがたさんは、腰まで下がった麻のバッグに大瀧詠一のファーストアルバムの歌詞カードを入れていました。めざとく見つけた僕に歌詞カードをひろげてくれます。「みだれ髪」のページになにやらごちゃごちゃ書き込みがしてあります。直筆をみるのは初めてのことです。ごちゃごちゃした文字です。映画「僕は天使じゃないよ」に大瀧さんが出演するんだよ、と教えてくれました。
 僕は、今日が明治大学の入学式だったこと、しかしそれには出席しなかったこと、中野公会堂にコンサートを見に行ったことなどを話しました。
 当然あがたさんもコンサートを見ていたわけで「気違い女のために」の件が話題になったらどうしようかと思っていましたが、話題とはなりませんでした。
 テーブル席にひとり、コップ酒をあおりながら酩酊している40がらみのジャンバー男が、こちらにむかって「おかま、おかま」と連発しています。あがたさんに向けて発せられたのか、僕たち二人に向けての言葉なのかそれは分かりません。お店のひとが男に向かって「お客さん、みんなそれぞれで楽しく飲んでるんだからさァ、静かにしてよ」と言いました。男はなにやらいいたげでしたが、静かになりました。
 僕はその当時肩まで髪を伸ばしていました。あがたさんも長髪でした。学生の多くが、少なくても僕の友人のほとんどが長髪でした。
 二人とも大分酔ってきました。あがたさんはフェアポートコンベンションの話をして、ぼくはビーチボーイズの話をしました。「時計仕掛けのオレンジ」や「明日に向かって撃て!」の話もしました。
 僕はとても幸せな気分になっていました。二人の話題がやがて宮沢賢治や稲垣足穂に及びかけようとしているころでした。
 男がまた「おかま、おかま」と言い出したのです。
 これまでこらえていた情が一挙に吹き出したのか、あがたさんが「うるさいッ」と言って立ち上がりました。僕も立ち上がりました。(97年2月16日記・以下次回)

-第2回 了-

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