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「マニアの至福」第9回

73年9月、はっぴいえんど
「ラストタイムアラウンド」-5-

 吉田美奈子さんはピアノを奏で始めました。ひとつ一つの音を確かめるように鍵盤を指先がとても大事に、はじきます。暖かい音色です。やがて静まり返った文京公会堂に歌声が響きます。
---ねこが耳をなでると 雨が降るといいますので 私は今日は家に居ることにしました---
 僕は戦慄しました。なんと切ない響きなのでしょう。 彼女の歌声が僕の心に沁みわたるようです。それは、リズムに乗せられて気づかないうちに爪先が上下したり、あるいは指先がひとりでに腿の上を叩いたりするのとは違った感情です。体ではなく心に伝播する感動というものでしょうか。
 僕はピアノを奏で歌う彼女の姿を記憶にとどめるためにステージに視線を向けていたいと思う反面、この楽曲を記憶するには僕の持つすべての能力を聴覚に集中し、この際視覚には目をつぶってもらおう!といった矛盾した気持ちを持ってしまいました。
 そして、この二律背反を成り立たせるために、背を椅子に凭れさせ口を半開きにしたまま、ぼんやりとステージに視線を投げ微動だにしなかったのです。これはいわば腑抜けの状態です。
 やがて美奈子さんは一曲目を歌い終えました。『ねこ』という題名でした。そして「ありがとう」と語りまた歌い始めます。歌と歌の間はとても言葉少なです。そこには、おしゃべりを交え観客の心をつかむといった行為は微塵もありません。
 恋人との愛を題材とした歌などが後に続き美奈子さんはステージを終えました。
 僕は舞台から去っていく彼女に拍手を送りました。この時僕はS恵さんとのことはすっかり忘れていました。

 南佳孝氏は白いスーツ姿でした。やはりピアノを前にして、しかし彼は時に饒舌です。南佳孝氏と吉田美奈子さんがこの日アルバムデビューを飾ったことや彼のデビューアルバム「摩天楼のヒロイン」のプロデュースは松本隆氏が行ったことを曲の合間に教えてくれます。またあるラジオ局で南佳孝氏がディスクジョッキーを担当していることも報告しました。しかし歌うと彼は実直です。
 いってみればワインがそそぎ込まれた瓶にコルクをして、やがてラベルを貼り箱詰めにして出荷するように、言葉にメロディを与え、ピアノを奏で次々と発表します。
『摩天楼のヒロイン』を披露する前には「そのあと弾丸列車に途中下車して最後はピストルです」といい『ピストル』では歌の最後でこめかみに人差し指のピストルをあてがい「バーン」とやりました。

 その後僕は、南佳孝氏のコンサートに何度となく足を運ぶようになり、彼はついには僕のためだけにステージを用意してくれることになるのでした。しかし、いましばらくは「CITY-Last time around」のコンサートのことを続けます。

(97年4月29日記・以下次回)

-第9回 了-

(付記・「CITY-Last time around」の記憶の裏打ちをすべく、コンサートのライブアルバム「素晴らしき船出」を押入れの奥深くから引っぱり出しライナーノーツを読んだ。それによるとなんと最初に演じたのは南佳孝氏であった。
 またアルバムを聴いてみると吉田美奈子氏が歌った『ねこ』は前奏でピアノよりも前に弦が奏でられている。僕の記憶からは弦の音が完全に欠落していたのだ。いつかの時点でピアノを弾き歌う彼女の行為だけが僕のなかに沈澱した。
 いや「CITY-Last time around」の行われた当日から僕には弦の記憶がない。僕は彼女に集中しピアノの演奏と歌声に感動していた・・・。ここではこの24年間持ち続けた僕だけの記憶を真実よりも優先することにした。だが、ひょっとして記憶は真実に勝るかもしれない。すなわち、弦はなかったのだと。)

なお、僕の記憶についての反論は以下の枠に記して下さい。

ありがとうございます。
さて、あなたがいま書いた上記反論を
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ありがとうございました。


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