|トップページに戻る|  |ひとつ前の回へ戻る|  |第11回へジャンプ|

「マニアの至福」第10回

73年9月、はっぴいえんど
「ラストタイムアラウンド」-6-

 

 南佳孝氏のステージが終わりステージが暗くなりました。中央にあったピアノが移動します。スタッフが動き回っています。機材をセットする音が、会場はずれのステージを俯瞰できる僕の席にまで伝わってきます。どうやら、次は多人数の編成による演奏のようです。

 S恵さんは見つかりません。S恵さんはやってきません。僕は、こめかみにピストルを当て「バーン」とやってしまいたい気持ちになっていました。どんなにコンサートに集中しようが、やはりS恵さんのことが気になります。東京に出てきて初めて知り合えた友達。もっと言い切ってしまえば僕の恋人。そのS恵さんとのお互いの気持ちを確かめるために手に入れたはずの2枚の切符。東京での初めての夏の終わりはこんな風にあるのだよと、期待を持ち傘をささず、にわか雨のなか待ち続けた2時間前の記憶。知り合えたS恵さんとの数ヶ月の記憶がよぎります・・・。ジーパンに素足で赤い鼻緒の下駄をちょんちょんならしながらフッと笑うあの表情。 大学の校舎でのはじめてのキス。自宅近くの『ホテルカモメ』を観察し得意げに話したときのこと・・・。やはりS恵さんは現れません。

 そして、次のステージが始まってしまいました。中央に「ディランII」の西岡恭蔵さんがいます。その恭蔵さんを囲むようにコーラス隊が結成されています。フィドルを手にしたくじらさんが耳に手を当て口をすぼめながら歌い始めます。スチールギターを前にした駒沢さんもいます。そして、なんと、あがたさんです。あがた森魚さんが参加しています。僕は、あがたさんの足下に目を転じハッとしました。いつものように下駄履きに変わりはないのですが、その下駄は赤い鼻緒です。あがたさんが窮屈そうに履いているその漆黒の下駄は女性の履く赤い鼻緒の下駄です。僕はそのとき驚き、しかし確信をもって言い切ることができたました。あがたさんの履いているあの下駄はS恵さんの下駄なのです。 それにしても、なぜ、あがたさんが、S恵さんの下駄を?

(99年1月24日記・以下次回)

-第10回 了-


|トップページに戻る|  |ひとつ前の回へ戻る|  |第11回へジャンプ|