コンサートが退けても、まだ、そぼ降る雨の止まぬ公会堂前で、僕はS恵さんに会った。彼女は、ジーパンに素足であったが、赤い鼻緒の下駄ではなく、スニーカーを履いていた。最初笑みを浮かべていた彼女の表情は、足下を見る僕の視線気づき、やがて9月の雨よりも冷えびえとした。
けれど彼女は近寄り、僕は彼女の肩を抱いた。恋人同士と言うには不釣り合いな隙間が、組まれた腕と肩の間に生じ、ぎこちないままに、後楽園前から丸の内線に乗る。
ぽつり、ぽつりとある空席にならんで腰を掛けた。
同じように「CITY」を体験した、男女のカップルや、数人の友人たちの会話が聞こえる。
「はっぴいえんど」てさ・・・。
「風都市」てっさ・・・。
誰もが綺麗に見えた。
僕は「CITY」を反芻するどころではなかった。
昂揚すべき記念の日に、とてつもなく悲しかった。 僕は「なぜ、スニーカーなの? なぜ、赤い鼻緒を履いてはいないの?」との問いを発することができずにいた。S恵さんは、僕のその問いだけを待っていたのに違いなかったのに。
僕は恐かった。僕の問いにS恵さんがなんと答えるのか、なにもできない僕よりも、たえず数段先を歩むS恵さんの、赤い鼻緒の下駄をなぜあがたさんが履いていたのか? その解答を得るのを怖れた。
盗み見るS恵さんの表情は、これまで、大学でも、あるいは、浅川マキのコンサートの後にみせたもののどれでもなかった。
電車は終点の池袋に着いた。
そのまま、山の手線に乗り換え、内回りに乗る。 やがて新宿が近づく。 僕の住む西荻窪に帰るには、新宿で乗り換えなければならないが、やり過ごしS恵さんの住む渋谷で二人降りた。
無言のままに肩を抱く。
駅前のチャイナタウンを横に歩を進め、幾度か待ち合わせた「ロロ」を過ぎ、東急デパート本店を越える。 右折すれば、S恵さんの住むアパートとなるが、そのまま坂を登り右手にある「ホテルカモメ」へ進む。 二人は黙っている。
数階建てのカモメの3階にあてがわれたひとつの部屋、ひとつのベッドで、僕は初めて女の人を、S恵さんを抱いた。ベッドから見える磨りガラスのはめ込まれた窓の向こうに、S恵さんの住むアパートがあるのだと思った。 ひとつになっているはずのS恵さんも窓の向こうにあるような気がした。 彼女は途中、一度だけ「まぁちゃん」と叫んだように思えた。(99年9月11日記・以下次回)