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アナザー サイト オブ 架空楽団

今回の、架空楽団東京公演「ムーンライダーズBAKA!」へのartmaniaの雑感をここに。


「ムーンライダーズBAKA!」であがた森魚さんに再会したエピソードなど

(1999.09.11 記)

●僕(=artmania)は、当日「ON AIR WEST」の階上フロアの上手で公演をみていました。その場所は、楽屋へと通じるドアの近くで、インターミッションのときなど「架空楽団」メンバーや関係者ならびにゲストの方が、ドアを開閉しては、場内の様子を眺めたりしていました。

「架空楽団」のメンバーの方は、満員の会場をながめ満足そうでした。

ライオン・メリーさんにも、会うことができました。 メリーさんは、ゲストではなかったのですが、楽屋へと通じるドアの向こうに消えてしまいました。

あがた森魚さんと会ったのは、公演終了後でした。あがたさんは、僕を認め近づいてきます。

「こんちは」とあがたさん。「お久しぶりです」と僕。

「でさぁ、まさとちゃんさぁ、最近まさとちゃんと、よく似た人のホームページ、見るんだけど、赤い鼻緒の女の人が出てくる話しで、俺さぁ、その女の人の下駄、履かせられてステージで歌ってんだけど、そのあと、どうなるの」 

「・・・・・」

「なんか、その続きが、なかなか、始まらなくてさ・・・。レコーディングスタジオの隅に、iMacが置いてあって、そしたら、慶一君が『俺がネットサーフィンしてると思って、ずっと昔から、俺に手紙書いてる人のホームページがあるんだ。で、あがたのことも書いてあって面白いから見てご覧』っていうもんでみたんだけどさ・・・」

僕は、冷や汗が出ました。 それは、まさしく僕が書いたものです。 73年に大学合格を果たし東京に住み始めた僕の当時を再現したお話です。 あがたさんはその連載のなかで、現在「CITY ラストタイムアラウンド」に出演中です。しかも僕の恋人(?)のS恵さんの愛用する赤い鼻緒の下駄をはいているのです。 

小説とはいえ実名で登場する本人から、続きが読みたいと言われたのです。しかも本人は意に反して(?)女性用の窮屈な赤い鼻緒の下駄を履かせられたままでいるのです。

(ということで、あがたさんが実名で登場する 明朗ロック小説「マニアの至福〜鈴木慶一さんへの手紙」の連載を再開しました。最新作第11回をお読みになりたい方はこちらをクリックして下さい

●あがたさんは、それだけ言うと僕のもとを去っていきましたが、僕は(打ち上げでまた会えるだろうから、そのときに、少しお話をできれば)などと思っていました。


●そのあと、今度は「アートマニアさんですね」と女性に声をかけられました。

「はい」と答える僕は、その彼女に見覚えはありません。

彼女はそれを察したように「アートマニアさんのBAKA ! 直前情報にアートマニアさんの画像が載っていたものですから、そうじゃないかと思って」といったのです。

それは、本当の事でした。公演の前日に行われた架空楽団のリハーサルを取材しに行き、敢えなく取材拒否にあい、それでもと、スタジオのドア越しに聞き耳をたてる僕の後ろ姿を掲載したのです。

僕はこれまで一度もHPに僕の画像を掲載したことはなく、たった一枚の掲載で僕だとわかったのかと思うと、少しうれしくなりました。

彼女は、幾度も練習したといった口調で「いつも、楽しくアートマニアさんのホームページを拝見させていただいています」とだけいうと、名乗らずに去っていってしまいました。

今時に珍しく、黒髪が揺れるTシャツの後ろ姿は、10代にも20代にも思えました。


●階下に降りると、この3回目にあたる「架空楽団東京公演」の間に知り合った、なん人かの人たちに会うことができました。

「よかったね」「楽しかったね」との笑みと挨拶が続きます。

ON AIR WESTの受け付けで、午前0時から始まる「打ち上げ」の会場「いろはにほへと」への道案内が行われています。

まだ、11時40分だったのですが、今のうちから向かうことにして、受付を後に階段を下りました。

(ということは、僕が見ていた場所は3階だったのだな)などと思いながら、階段下の道路にいまだに残る多くの人たちの間を抜け、東急デパートの本店へと向かう坂を下りました。

僕は、昔とは、大分様子が変わったなどと、いつと比べているのかもわからない昔を描き、まだまだ、未明までも暑さが残るであろう渋谷の街を「いろはにほへと」へとひとり歩きました。


●「いろはにほへと」に着きました。 0時までまだ10分あります。人は集まっていません。100人ぐらいは収容可能な「架空楽団」打ち上げ用の座敷席を一度覗いてみたものの、誰もいません。 しかたなく店頭のレジの横にある待合い用の席で待つことにしました。 先客が一人座っています。 見覚えがあります。「ON AIR WEST」の階上で声をかけてきた女性です。

「先ほどはどうも・・・座っても、かまいませんでしょうか」

「どうぞ」

籐で編まれた待合い席に、僕は彼女とは少し間を置き座りました。

彼女は「ON AIR WEST」の時とは違い、僕に話しかける気持ちを持ち合わせてはいないようでした。

(打ち上げの模様についてなどは、次回に)


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アナザー サイト オブ 架空楽団('99年8月25日〜9月5日 記)

●架空楽団の伝統芸「エアプレイン」及び「日本少年2」について。(敬称略の方もあり)

1970年代の終焉、artmaniaは渋谷駅から渋谷センター街の入り口へと向かい、ほどなく街路が分岐する「ロロ」を右手に歩を進めると存在する、怪しげな楼閣の「屋根裏」で開催される、「VS」(=あるいは「Virgin VS」)の数度にわたるライブに同行していた。

当時、artmaniaは「VS」のスタッフであり観客であるという極めて曖昧な、しかし、入場料を踏み倒すという地位を持ち得ていた。 

ライブに集う観客は少なくはなかったが満席でもなかった。 「エアプレイン」は、いわば「VS」のオハコだった。その後「Virgin VS」の初期あるいは生涯のフラッグソングとまで登りつめた「ロンリーローラー」が確固たる地位を得る、すなわち楽曲としての形成が池袋にあるレコーディングスタジオで、一定の完成をみるまで「エアプレイン」は「VS」の代表曲だった。

イアン・カーティスなければ存在しない「サブマリン」、香港の佐敦道の「リッツホテル」で得た「報紙」(=新聞)なくしては演じられない「ホンコンハウンテン」、などに続き、「エアプレイン」が歌われる。

 あがた森魚は「エアプレイン」を歌う際、木製の複葉機を手に、さちお、あるいは、ライオン・メリーが奏でるシンセサイザーの爆音に自らを委ね、イナガキタルホ、またサンテグジュベリの航空郵便配達員と昂揚せしめる。 あがたの右手にある複葉機は軌跡をえがき、「エアプレイン」を歌い込むに従い、全てのアトラスを制覇し、ついにはバルセロナを越えアルカデアに到達する。

架空楽団の山田氏は、同じ時に「屋根裏」で「VS」のライブを体験していた。

山田氏は屋根裏での「エアプレイン」に感銘。 その後、架空楽団員として「エアプレイン」を歌い込みこれを、伝統芸といわしめるまでに昇華。

架空楽団がなければ、20年前の「エアプレイン」を目の当たりにすることもなかったあがた森魚。

氏は現在最新アルバム「日本少年2」を制作中だが、これには「Virgin VS」の新作も盛り込まれるとのこと。 この制作過程において20年前の「エアプレイン」を目の当たりにした事実がアルバムに影響を与えることは十分にあり得る。

(1999.09.05 記)


●「アシッド ムーンライト」は、架空楽団のバイオリニスト、佐藤ふくみ女史と、今回の「BAKA ! 」公演で初めてのゲスト参加となった、ムーンライダーズの武川雅寛氏(=くじら氏)との競演となった。 廣岡氏のキーボードのイントロデュースに続き、ダブルバイオリンの演奏が始まる。 最初は主旋律を互いに奏でていたが、競演する二人の心が一致した刹那、ふくみ氏に主旋律をまかせ武川氏が即興での演奏を始めたのだ。 観客も、そして、廣岡氏を除く架空楽団員全員が両氏の奏でる旋律に集中する。

 くじら氏は自ら編んだ主旋律を他人に委ね、氏はその演奏に即興で応える・・・。バイオリン演奏において、くじら氏がアドリブで自らの楽曲に新たな解釈を加え演じたのは、氏の歴史上、ひいてはムーンライダーズの史上初めての行為ではないのか?

これは架空楽団が存在し、存続しているからこそ行われた行為として記録される出来事といえる。(1999.09.03 記)   


なおこのHP上のテキストについてのご意見、ご指摘、反論等はartmania@air.linkclub.or.jpまで。

●開演前に流れるのは、パーシーフェースの「夏の日の恋」。これは「避暑地の出来事」という映画のテーマソングだ。しかし僕は、少年時代にラジオから流れた音楽番組のテーマソングとして意識している。 さらにケビン・コスナー、ミッキー・ロークが出演した、バリー・レビンソン監督の映画「ダイナー」の、映画館で彼らが上映を待つトップシーンで、海岸を歩く死の象徴へのアンチテーゼとして使用されていたような気もするが、定かではない。

●「無職の男のホットドック」は、ムーンライダーズのなかで一番聞き易いといわれるアルバム「A.O.R.」に収録されている。しかし、この楽曲は、聞き易いナンバーとは思えない。 僕はこの楽曲を初めて聴いたとき「ワーキングクラスヒーロー」を思い浮かべたが、僕自身は、すでに「ワーキングクラス」とは地位も位置も異にしていた。 しかし、今や「ギブ ピース ア チャンス」がCMソングとして使用されている時代だ。

かつて日本には「東京戦争の戦後」という時代があったのだが。(1999.08.25 記)


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