ここにartmaniaは、独占手記・ドキュメント「佐野史郎氏にアポ無しゲスト出演要請」改め「佐野史郎氏にアポ無しの乞い」の掲載に至った。
8月の暑い午後、僕は都下の私鉄ターミナル駅に降り立った。暑い、とにかく暑い午後だ。駅前のロータリーでは、第二次世界大戦、いいかえれば太平洋戦争の写真展が反戦を訴える人々によって開催され同時にその催しに賛同する人たちによるコンサートが特設のステージで行われていた。 夏至もとうに過ぎ、南中から数時間。しかし、ロータリーに立ち尽くす僕の影は短い。
街路樹の緑が美しい。 夾竹桃の花が咲きほこる。 舗道は疲弊している。 埃さえ舞うのを躊躇うような暑い夏の午後。 僕よりも明らかに年輩の女性が写真展にまつわるチラシを、ロータリーを巡りながら配布している。 僕は受け取らない。 バンダナを結ぶ男性が「働いても、働いても・・・」とステージで歌う。 僕は聞きたくない。
20数年前、僕はこのような光景を見ていた。 いや、このような光景を築き上げる一員だった。 しかし、風景には負けていた。 風景はいつも正確だ。 どのように知らんぷりをしても、影の長さは正しい。 それは、変わることのない真実。
立ち尽くす僕の前に、乗用車が停車する。
「×さん、お待たせしました」
----すみません、今日は、ムリを言って申し訳ないです、と僕。
「とんでもないです。じゃ、行きましょうか」
----ありがとうございます。
助手席に乗車し、僕は話し始める・・・。
----事情をどこまでお聴きかはわかりませんけれど、実は、僕の知り合いのバンドがコンサートを今月の19日に、オンエアウエストで奏るんです。 それに、ゲストで佐野史郎さんに出ていただきたくて、なかなか、佐野さんにお会いできる機会がみつからなくて、それで、本日、ムリを承知で出演をしていただこうと思い、面会をお願いした次第なんです。
車は、ロータリーを巡り、駅を背に加速する。街路樹を両側に直進する。
「佐野さんは、その事をご存じなのでしょうか」
----ご存じないと思います。
「えっ! それ本当ですか、あや、えっ?」
----はい、申し訳ないです。とりあえず、お会いできるでしょうか?
「どうやら、オシてるみたいなんで、入りが早まってて、でも、多分夕食休憩の時間にうまくいったら、うまくいくと思います」
----夕食休憩って、何時ぐらいなんですか?
「18時か19時ぐらいだとい思います」
それは、2〜3時間先の時間だった。(2000年8月26日入稿。以下、次回)
やがて、車は撮影所に到着した。時代劇の番所に似た建物の横に車は停車する。警備員が在駐している。この撮影所の母胎となる映画会社が、時代劇を制作していた記憶を僕は持ち合わせていなかった。 車を降り、スタッフルームへと案内される。 中にいたスタッフの数人と挨拶を交わす。
「じゃ、とりあえずスタジオへ行ってみましょうか、ところで佐野史郎さんとはお知り合いなのですか」
佐野さんが、出演しているドラマの制作部の方も同行する事となった。僕は、その方にも事情を説明した。
---いいえ、以前、12年前にあるパーティでお見かけしたことはあるのですが、直接にお会いできるとすれば、本日が初めてです。
いきなりのアポなし来訪に、同行の方の困惑がみてとられた。 僕は車中で、撮影が押しているために佐野さんが通常より早めにスタジオ入りした説明を受けていた。
その分、撮影スケジュールは厳しくなっているはずで、佐野さんに会えたとしても、出演交渉を行える保証はなかった。
---僕の知り合いのバンドが19日に渋谷のオンエアウエストでライブを行うんです。
東京で毎年お盆にライブをやっていて、今年で4年目です。
そのバンドはムーンライダーズやあがた森魚さんのコピーバンドとして知られていて、コピーされるご本人がゲスト出演されています。
また、サエキけんぞうさんや、岩井俊二さんもご出演されています。
佐野さんは、じつはあがたさんと親交があります。
で、今年はできれば、佐野史郎さんにご出演していただこうと思った次第です。
出演交渉が不調となることへの不安を気づかれまいとぼくは喋り続けた。夏の日射しでくっきりと縁取られたスタジオの短い日影のなか、僕らは入り口を目指し歩を進める。蝉の鳴き声が響き渡る。暑さが舞い戻る。僕らは恐らくそれぞれの立場で不安だった。
やがて、スタジオへのドアに辿り着いた。ドアの向こうには佐野史郎さんがいるはずだった。(2000年8月30日入稿。以下、次回)
「じゃあ、入りましょうか」
ドラマの制作部の方がドアを開けた。踏み込むドアから、冷気が流れてくる。スタジオのドアが閉められると、辺りは薄暗い。
「いろいろなものが散らかっていますから、足下に注意して下さい」
薄暗いスタジオは、仕切られいくつかのセットが設営されている。電源コードが地を這っている。「く」の字に曲がった釘が落ちている。90センチほどの長方形の木箱が積まれている。 薄明に目が慣れてきても、スタジオの全貌は伺いしれない。
「ここは、厨房のセットです。料理は、あちらの台所で調理され、このセットに運ばれ撮影されます」
撮影に使われるときは照明で照り輝くと思われる厨房のセットは、今は鈍色に沈んでいるが、それでも調理用の器具や食器が整然とならび光沢を放つ。
「きのうは、食べるシーンの撮影があったので、ここも使われました。 あとで、みんなで、撮影後の料理を食べるので、食べるシーンの日はスタッフみんなが楽しみにしています。 きのうは、コロッケでした」
厨房を過ぎると、十数人のスタッフが、向こう向きに設置されたモニターを注視している。 僕を案内する制作部の方が、口元に人差し指を立て、静かにと制する。僕は歩を止めた。 奥にあるセットの模様がモニターに映し出されているようだ。モニターを見守る人たちは、多くは腕組みをしている。明かりと科白がセットから漏れる。
「はい、カァット!」
モニターを注視していた人たちが、「ふーっ」と息を吐き、腕組みを崩す。
「チェックします」
モニターにまたスタッフの目がそそぎ込まれる。
モニターの見えるところまで回り込もうと踏み出すと「オーケーです」の声があがった。 いちシーンが無事終了したようだ。
セットの逆光のなかから、男性がこちらに向かって歩いてくる。スーツ姿のその男性は、佐野史郎さんだった。
案内者である制作部の方に目配せをしている間に佐野さんは僕の前を過ぎ、スタジオの外へ向かった。
制作部の方が、モニターをそれまで注視していたうちの、ひとりの若い男性に声を掛けた。男性は、手帳を取り出し、両者でそれを繰りながら話を始める。 若い男性は、首を横に振る。それから僕に目をやり、やがて制作部の方が僕に声を掛ける。
「やっぱり伝わってないですね。 でも19日は、いまのところスケジュールは入っていないようです」
---そうですか、と僕。
「今、ちょっと、休憩です。 いってみましょうか」
---はい。 是非お願いします
僕らは、スタジオを出た。開けたドアの横に、入るときには気づかなかったパイプ椅子が数基雑然とならび、そのひとつに佐野史郎さんが座していた。
制作部の方が、佐野さんに声を掛けた。
「突然で申し訳ないんですが、どうしても、お願いしたいことがあると、この方が申されていて・・・。」
佐野史郎さんは、横に立つ僕に目を転じた。 眼鏡越しに、いぶかしげに僕を見ている様に思えた。 (2000年9月03日入稿。以下、次回)
---私は、こういうものです。
僕は、佐野史郎さんに名刺を差し出した。それは僕の勤務する会社の僕の名刺。
佐野さんは名刺に目をやり「いつもお世話になっております」と言ったのち、僕をじっと見据え、それで?といた表情を崩さない。
僕は、緊張するときに起こる早口になる。
---実は、架空楽団というバンドがあるのですが、毎年、お盆に東京でライブを行っていて、コピーバンドなんですが
ムーンライダーズやあがた森魚さんの楽曲ばかり演奏していて、去年は渋谷のオンエアウエストで行ったのですが
ゲストとして、あがたさんや、慶一さんや、武川さんや、かしぶちさんや、博文さんや、良明さんに参加いただいています。
佐野さんの表情は変わらない。
---サエキけんぞうさんや、ヨタロウさんにも参加いただいています・・・。
一昨年は、岩井俊二さんにも参加いただきました・・・。
眼鏡越しに上目遣いに僕を見る佐野さんの表情は、堅いままだ。
「出演交渉に来たわけ? わざわざ、その為だけにここに来たわけ?」
---はい、そうです。
「で、今年はいつなの?」
---19日の土曜日です。
「えっ? もうすぐじゃない?」
---はい、それで、お礼と言っては、あまりに失礼なのですがCDをお持ちしました。お納め下さい。
僕は、持参したCDを取り出した。
そのCDは僕が、自主制作したもので、収録されている楽曲は、といえば・・・。(2000年9月07日入稿。以下、次回)
それは僕自身や僕の友人がこの28年の間にコンサートなどで録音した十数曲の楽曲だった。
佐野さんは、CDの楽曲リストに指を繰る。
「へぇ、なんでこんなのがあるの?」
---佐野さんご自身が夢野ワンダさん共にお歌いになった「鏡になりたい」です。
88年5月にヴォルガで歌たわれたものです。
実は、当日、この曲が歌われた会場に、僕もおりまして。
「鏡になりたい」は、僕の知人の結婚披露宴が行われた際に録音したカセットテープに収められた一曲だった。佐野さんは当日、自己紹介として、「僕らの7日間戦争」に教師役で出演していること、ヒロインはリハウスのCMに出演している新進の女優であることを伝えその後「鏡になりたい」を歌った。
「・・・この、はっぴいえんどは、いつの?」
---72年の日比谷野音と思われます。
「って、いうと、あの、はっぴいえんどのライブCDには入ってないやつ、
それは、URCの、EMIから、あの、再発になった、中津川のフォークジャンボリーとかの音源のやつ「ももんが」やってるやつ?
---佐野さんの「ええど、ええど」が収録されているCDですね。はい、それとは違うと思われます。「はいからはくち」のアレンジが風街ですから・・・。
「そういえば、この間、稲垣吾郎君が「抱きしめたい」歌ったんだ。鈴木茂が、ギター奏いて・・・」
佐野さんの表情は緩んでいた。
同行のドラマの制作者がホッとする。
若い制作者もホッとする。
僕をこの場に連れてきてくれた人も安堵する。
「ふうん『ももんが』忠さんと葡萄畑がやってんだ、ホーボーズで。」
---初期のムーンライダーズのも、入っております。
「これ、それで、もらっていいの?」
---はい、どうぞ、お納めください。
佐野さんはうれしそうだった。本当に笑みがこぼれていた。
「で、当日は何を、歌えばいいのかな」
---はちみつぱいの本多さんもご出演されますので、ご一緒に「こうもりが飛ぶ頃」をお願いしたいのですが
「別の曲でもいい?『手品のわるつ』でもいいかな」
---はい、もちろんです。あがたさんの曲も完全に採譜しています。
ぼくは、資料として持参したスクラップブックを開いた。そこには、昨日岡山で行われた「港のロキシー」上映ライブの画像のコピーもあった。それには、あがたさんが、架空楽団の演奏で「手品のわるつ」を歌う姿が収められていた。
「へぇ、『手品』もやってるんだ。うーん、1曲だけでいいかな?、2曲歌ってもいい?」
---ありがとうございます。2曲も歌っていただけるのなら、それはもう、是非お願いいたします」
「オンエアに7時でいいの?」
---はい、かまいません
「でも、キー合わせたりしないとね、少し早いほうがいいよね」
---はい、そうですね、今後のご連絡はどうしましょう
「僕のホームページのメールアドレスにメール送って。まだ、出演できるかどうかは、ドラマの進み具合次第だけど」
---わかりました。ありがとうございます。
そこへ、佐野さんが出演しているドラマの主人公が清掃員の姿で近づいてきた。
「なに、やってんの?、このまえのやつのつづき?」
「ううん、違うんだけど、また、もらっちゃたよ」
佐野さんはうれしそうにCDをかざした。
ドラマの主人公は、「ふうーん」といった表情でドアを開けスタジオへ入る。
暗がりのなか、佐野さんの奥様を演じる女優の方の姿がドア越しに見られた。
どうやら、本番が始まるようだ。
佐野さんが「じゃぁ」といって立ち上がる。
---よろしくお願いいたします。
僕はスタジオに入る佐野さんを見送った。
(よかった、どうやら、出演していただけそうだ)と思ったとたん、僕は、出演料を支払えないことを伝え忘れたことを思い出した。 (2000年10月01日入稿。以下、次回)
8月18日になった。 架空楽団のライブが翌日にせまっている。
その日まで、佐野さんからなんの連絡もないことを、僕は、架空楽団リハーサルを行っているスタジオで知った。
楽団オーナーの黒瀬さんに僕が「佐野さんどうですか」と問うと
「うーん、佐野さんの事務所に、去年までの架空のライブの模様をビデオで送ったし、それ見てくれてれば、架空がどんなもんかわかってもらえたと思うし、でも、連絡がなくて、どうなってるのかなー、いずれにしてもあしたの午後4時からゲストリハーサルで、4時に来て下さいとは伝えてあるんだけど」との答えだった。
翌日のライブで「手品のわるつ」が演じられることは決定していた。
「手品のわるつ」のリハーサルが行われる。
矢島さんのサンプリングが施されたイントロの後、片島さんのバスドラムがドスン、ドスンと響く。佐藤さんのバイオリンが旋律を奏でる。
「アン・ドゥ・トルァ、恋の魔術師よ・・・」山田さんのヴォーカルで「手品のわるつ」が歌い込まれる。
凄烈だった。
僕は、映画「夢見るように眠りたい」を思い出していた。
1986年・夏、新宿の歌舞伎町にある映画館で、僕は「夢見るように眠りたい」を観た。
午後9時を過ぎてのレイトショーだった。
ロサンゼルスの高級住宅街で活躍する警官を題材にした映画のパート2の予告編が終了すると、スクリーンが縮小し「夢見るように眠りたい」が上映された。観客は僕を混えて3人だった。
探偵が活躍する。浅草の仁丹塔が見えてくる。時代劇が演じられる。モノクロームの映像は時に露光過剰で白む。花屋敷が深夜に光彩を放ち飛行塔の飛行機が回り始める。焦点の合わない8ミリフィルムで撮影された電気花火にも似てスクリーン全体が明滅する。夢の中での現実のように映画のなかの映画を通してテーマが明らかになる。スクリーン全体がぼやけ始める。違った。僕の瞳が涙でスクリーンに焦点を合わせられない。
僕は、泣いていた。体全体がぶすぶすと熱くなった。
僕は、泣きじゃくっていた。言葉にならない感激が涙としてあふれた。
その場に、スクリーンに向かって居合わせていることが、なぜか僕は申し訳なく思えた。
それは、映画への想いを、このような形でしか伝えきれない、制作者とはスクリーンを隔てて映画館の椅子に凭れてる情況でしかない、自分の歯がゆさにもからくる思いだったのかも知れない。
このようにして僕は、佐野史郎さんを知った。彼は「夢見るように眠りたい」の探偵役だった。
そして『手品のわるつ』はその挿入歌だった。
架空楽団のリハーサルが休憩に入る。
メンバーの会話が聞こえる。
---佐野史郎さんと、うちらの接点ってないわけだし
---なんで、来てくれるのか、わからないし、そりゃ、来てくれればありがたいけれど
---それは、そうなんだけれど
僕は、黙っていた。
黒瀬さんは、その話題を終了させたかったのか「いずれにしてもあした」と言った。
そう、いずれにしても、あした、8月19日。佐野史郎さんが出演してくれるか、どうかは、当日にならなければわからない。
佐野さんが出演する明日を、夢みるように待つしかない。
(2000年10月03日入稿。以下、次回)
8月19日になった。
僕は、僕が勤務する会社の業務で昼過ぎから日本武道館にいた。
前日までに、佐野さんの出演が確定せず気がせいていた。
地下鉄を乗り継ぎ、午後4時30分、僕は、渋谷のOn Air Westに着いた。
階段を上り詰めると、受付の準備も整い、扉越しに音が聞こえる。
すでに、リハーサルが始まっている。
扉をあけた。
『手品のわるつ』が演じられている。
ステージを見上げると架空楽団に混じり、スタンドマイクを前にして佐野史郎さんがいた。
佐野さんは歌っていた。「青い、白い、赤い、毬も消えちゃった・・・」
バイオリンの佐藤さんが「来てるわよ」といった表情でぼくに、目配せをした。その目は笑っていた。
本当に、佐野さんが来てくれていた。
うれしかった。
『手品のわるつ』のリハーサルが終わるや、僕は、ステージに駆け上がり、佐野さんに一礼した。
---ありがとうございます
「ロケがあるかないか、わからなくて、来れるかどうかわからなくて、返事できなくてすみません」
---ありがとうございます。本当にありがとうございます
アポ無しの乞いは、ここに結実し、本番となる。
(2000年10月06日入稿。以下、次回)
架空楽団のライブが始まる。
7曲めとなる「霧のステーションデパート」演じられた後、オーナーの黒瀬さんがゲストの紹介として、こう語った・・・。
---まさか、来てくれるとは、思いませんでした・・・佐野史郎だぁ。
黒瀬さんの一言に、客席がどよめいた
そして、佐野史郎さんが、ステージに現れ挨拶をする。
「どうも」
---本物です
(佐野さーんとの歓声があがる)
「すいません」
(拍手)
---えらいな、これ
「ちょっとなんか、お話したほうがいいのかな・・・きょうは、24時間テレビと言うことで・・・」
(笑い)
---そのネタ、おいしい
(笑い)
「・・・日本テレビの関係の美術をやってらっしゃる××(歓声で聞き取り不能)さんという方がいらっしゃるんですが
いま『フードファイト』いうドラマでお仕事をご一緒させていただいているんですけれど、というのは、このあいだ、知ったのですけれど『フードファイト』の現場で、架空楽団というのがございまして、聞いて下さいと、手焼きのCDを渡されましてですね、なんか『はっぴいえんど』の未発表・・・どこで録音したかわからないような」
---ライブ音源
「・・・ライブ音源とか、おっ、これはというのが一杯・・・」
---物でつる
(笑いと拍手)
「・・・まあ、ゆかりの物としてはですね、出ない訳にはいかない・・・」
(拍手)
「そこで、何を奏るかとなったときに、かようなのは如何でしょうかとも言われたんですが、私とあがた森魚という人とは、切っても切れない縁がございまして、まぁ、ご存じでしょうが、16年ぐらい前ですかね、遠藤賢司さんのお家に、情況劇場やめて遊びに行ってたときに、あがたさんがいらっしゃって「こんど映画を撮るんだけど、きみ出ない?」って、いう一言で、私の人生決まってしまいまして、その映画は、林海象監督の『夢見るように眠りたい』という映画になりまして、その時の、映画、まぁ、勿論ぼくにとっても生涯忘れ得ない一本となるんですが、その中で『手品のわるつ』というのが、入っておりまして・・・」
(拍手)
「さんざん聞いてきましたが、自分で歌ったことは、一度もございません。できるのか、どうか、まぁ、ちょっと・・・やるべ」
(拍手)
---お願いします
そして「手品のわるつ」が歌い込まれる。


大歓声に包まれ、「手品のわるつ」の演奏が終了した。
「どうも、ありがとう」
(拍手、やまず)
「・・・やっぱり『夢見るように眠りたい 』っていう映画は、あらためて、特別な映画だったんだな、と思います」
(拍手)
「・・・うーん、メロディ、聞いてるうちに、歌っているうちに、なんか一瞬にして、あの、仁丹塔が思い出されて、浅草ロケが思い出されてしまいました。」
(拍手、鳴りやまず)
・・・僕の勝手な思いで夢見るように始まった佐野史郎さんの架空楽団東京公演への出演はここに実現した。
そして、僕にとって、2000年8月19日は、生涯忘れ得ない一日となった。
(2000年10月07日入稿)
※artmaniaから一言・・・「佐野史郎氏にアポ無しの乞い」は、ここに終了しますが、執筆を終えたX氏とartmaniaの「架空楽団」をめぐる対談「アポ無しの乞い」の連載を終えてを2000年10月9日より連載中です。こちらも、ご覧下さい。
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